一本の水路によりはじまった、安積開拓シンボルの地。
明治維新後、政府によりはじまった「安積開拓・安積疏水開さく事業」。開拓者たちの心の拠り所として伊勢神宮から分霊された「開成山大神宮」を中心に、憩いの場として整備されたのが開成山公園のはじまり。灌漑用のため池として使われた五十鈴湖を中心に、約1,300本の桜が植樹され、そのソメイヨシノは日本最古として認定されている。明治37(1904)年から昭和31(1956)年までは五十鈴湖の周辺に競馬場があり、大いに賑わった。
都市公園・開成山公園が誕生。人々が集う、郡山のランドマークへ発展。
昭和27(1952)年に開成沼周辺を整備し、開成山陸上競技場、開成山野球場が完成。五十鈴湖周辺エリアを「開成山公園」として整備が開始された。昭和41年(1966)現在も続く「こどもまつり」がはじまる。昭和43(1968)年、公園北側に郡山市役所が麓山地区より移転竣工。昭和47(1972)年に都市公園として正式に供用開始され、郡山市発展の中心地となる。同年に野外音楽堂が完成。そのころ、日米プロ野球や、ロックイベント「ワンステップフェスティバル」など、全国から人々が集う大規模なイベントも開催された。
次世代型の公園として、新しい音楽・スポーツ・カルチャーの発信地へ!
平成に入ってからは、音楽・文化交流館(ミューカルがくと館)開館や、県内初の市営屋内50mプールが完成。市民イベントとして、郡山シティーマラソンやビール祭のほか、野外音楽イベント、第9回B-1グランプリなども開催され、音楽・スポーツ・カルチャーが交わる場所となる。Park-PFI事業、開成山地区体育施設改修整備事業による再整備を行い、令和6(2024)年4月には開成山公園西側がリニューアルオープンし、東側体育施設エリアは令和7(2025)年3月までに順次リニューアルオープンが予定されている。新しい公園として、またスポーツの中心地として機能を強化し、持続可能な市民参加型パークへ。